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名古屋地方裁判所 昭和37年(ワ)1066号 判決 1965年8月06日

原告 イチビキ株式会社

右代表者代表取締役 中村光蔵

右訴訟代理人弁護士 佐藤正治

平田辰雄

被告 サンビシ株式会社

右代表者代表取締役 中村正司

右訴訟代理人弁護士 佐藤一平

上村千一郎

山本卓也

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

(原告の「つゆの素」発売の経緯及び態様)

一、原告は、味噌、溜り、即席調味料などの製造販売を目的とする会社であるが、その主張の如く、昭和三六年一月一日旧商号大津屋株式会社をイチビキ株式会社と変更したこと、原告が、昭和三五年五月一六日より、「イチビキつゆの素」なる名称で即席調味料の製造販売をしていること、及び、原告が「イチビキつゆの素」の文字からなる連合商標の登録を受けている事実はいずれも当事者間に争がない。

二、≪証拠省略≫によると、原告は、大正八年頃、古くから味噌、醤油業をしていた「大津屋」なる個人企業を株式会社組織にして発足したものであるところ、設立以来業績は順調に伸び、現に資本金六〇〇〇万円の全国有数の味噌醤油業者となり、その製品は「イチビキ」の名で広く取引者、需要者間に普及するようになったが、昭和三三、四年頃から、全国的に即席食品の開発普及が著しく、調味料の分野においても新たな企劃が不欠缺となって来たため、原告も昭和三五年頃、即席調味料の製造販売に乗り出し、種々その名称を選択検討のうえ、右新製品に「つゆの素」と命名して発売にとりかかったことを認定し得べく、また、≪証拠省略≫を総合すると、原告は従前その製造する商品について「イチビキ」なる登録商標を有していたが、右即席調味料発売に際し、「イチビキつゆの素」なる商標登録を出願したところ、同年八月一〇日特許庁は、「つゆの素」なる文字は右出願商標の要部であるにも拘らず、特別顕著性に欠けるとして、出願の拒絶理由の通知をしたため、原告は「つゆの素」なる文字を権利不要求部分として、前叙の如き「イチビキつゆの素」なる連合商標登録を受けたことを認定し得る。

三、そして、≪証拠省略≫を総合すると、原告は右即席調味料販売に際し、その容器包装は主として、別紙第一図(一)の如き意匠登録された二合入壜を用い、その表面には別紙第一図(二)の如く、壜の上部に「即席調味料」と横書きしたレッテルを、胴部に「つゆの素」と横書き大書し、その上に「イチビキ」と中字で、その下に細字で「イチビキ株式会社」と記載したレッテルを各貼付して、その出所をせん明にしていた事実を認め得る。また、本件各証拠によると、原告はあらゆる宣伝機関を動員し、かつ、従前から有した販売網を利用して、宣伝売込に専念した結果、愛知、岐阜、三重、静岡の四県を中心として順調に販路は拡大しその需要も日を追って増大し、現にその売上額は原告の諸商品総売上高の三〇パーセントに達するに至った事実を認定することができる。

(被告の「つゆの素」発売の経緯及び態様)

一、他方、被告は、味噌、溜りなどの製造販売を目的とする会社であるが、昭和三六年一〇月一日頃その商号を現商号サンビシ株式会社と変更し、昭和三七年三月頃、「サンビシつゆの素」なる名称で即席調味料の製造販売を開始したことは、当事者間に争がない。

二、そして、≪証拠省略≫を総合すると、被告は、明治二九年一二月三河醤油合資会社として発足し、被告主張の如き経緯を経て、現に資本金一億二〇〇〇万円の株式会社であるが、これまた、原告と同様、設立以来業績顕著にして特に醤油部門については全国屈指の業者となったこと、その会社設立の当初から商品に別紙第二図(一)の如き図形の登録商標(俗にサンビシと称す)を使用していたところから、被告の製造販売にかかる醤油は、市場において「サンビシ」醤油と呼称されていたが、前叙の如く即席食品の急速な普及に伴い、被告もこれを製造市販すべきことを企図し、昭和三七年三月頃「サンビシつゆの素」なる名称で製造販売を開始したこと、その容器は原告と同様包装用壜を用い、その表面には、別紙第二図(二)の如く上部に「インスタント調味料」と横書きしたレッテルを、胴部に「つゆの素」と横書き大書し、サンビシの文字及び図形を中字で、サンビシ株式会社と細字で各表示したレッテルを各貼付し、これまた一応その出所の指標に欠けるところがないことが認められる。

三、ところで、前顕各証拠によると、被告も亦発売と前後して宣伝に努め、下部の販売組織を利用して売込にほん走した結果、急速に販路は伸長したが、その販売区域がほぼ原告と同一の愛知県、岐阜県、三重県を主体としていたため、ここに原被告の利害が衝突し、その競業関係が鋭く顕在化するに至ったものと認めることができる。

(被告の前記行為は不正競争防止法所定の不正競争となるかどうかについて)

一、原告が「イチビキつゆの素」なる文字につき連合商標の登録を受けていることは、前叙のとおりであるところ、右商標中「つゆの素」なる文字は右商標の離権部分となっていることも、さきに触れたとおりである(右商標は、特別顕著性なき「つゆの素」の部分が顕著性ある「イチビキ」の部分に優越して、その要部を占めていると認められる。なおこの点は後に触れる)。ところで、原告は右「つゆの素」なる部分は、周知された原告の商標ないしは原告の商品を示す表示を以て目し得る旨主張する。もとより、不正競争防止法第一条第一号にいうところの「他人の商標」とは、原告主張のように、その登録の有無を問うことなく、むしろ登録されていない周知商標を主眼とすること同法の法意に照し明白であり、また、本件各証拠を総合すると、原告の「つゆの素」なる商品は、愛知県、静岡県の浜松以西を中心にして、その周辺及び三重県、岐阜県地方にまで広く知られていることが認められる(尤も本件で顕われた一部証拠によると右の如く周知性あるものは、「つゆの素」ではなくして、「イチビキつゆの素」であるやに窺われるふしもあるが、この点は一応論外とする)。

二、そこで、本件における争点は、先ず、右「つゆの素」なる文字が、右の如き意味で原告の周知商標ないしは周知の商品の表示と目し得るかどうか、次に、被告の「サンビシつゆの素」なる商標ないしはその商品の表示は、原告の「イチビキつゆの素」或は「つゆの素」と類似のものであるかどうかの点に帰するが被告は、被告の右行為は所謂普通名称の普通使用にとどまる旨主張する。

三、よって、先ず、「つゆの素」なる文字は、果して、不正競争防止法第二条第一項第一号所定の普通名称であるか否かにつき判断する。

同法条に所謂普通名称とは、一般に、当該商品の固有の名称、或はこれに準ずる名称、ないしは、その慣用語または俗用語の名称を指すものと解すべきところ同条(同旨商標法第八条)(注―第三条の誤記か)は、「普通名称或は取引上普通に同種の商品に慣用される表示を普通に使用される方法を以て使用し、またはこれを使用した商品を販売する行為」は同法に所謂不正競争を構成しない旨明定する。けだし、普通名称によって表示される商品は特別顕著性に乏しく商品の出所につき何らの指標力を有せず、一般市場における営業主体の誤認を招来すべき恐れなく、従って、これによって生ずべき不正競業を規制すること自体、無意味かつ不必要といわねばならないからである。同法条の法意をかくの如く解する限り、それが普通名称であるかどうかの認定は、これを抽象的に文字自体につき判定すべきではなく、当該文字の用法、なかんずくその使用時期における経済的社会的背景、当該文字と商品との関連、当該商品取引の実質的関係、すなわち商品の出所たる企業の分析、商品の生産流通過程における関与者の諸関係等の相関関係においてこれを決定すべきものといわねばならないのであり、当該名称を選択採用した者が、これを普通名称なりとする動機、意思ないしは確信、或は、一般需要者側に存するそのような認識の有無は、さしてこの点につき係わりなきものとなすべきである。

いま、これを本件についてみると、≪証拠省略≫を総合すると

(一)  我が国の食品業界においては、昭和三〇年頃を契機として即席食品(俗にインスタント食品)の普及著しく、これがため市場はにわかに活況を呈するに至ったが、調味料の分野もこれに漏れず、昭和三三、四年頃から、その即席化が顕著となり、全国の醤油、味噌その他の食料品業者は、争って即席調味料を考案発売するようになり、原告が始めて発売した昭和三五年当時には、数多の即席調味料が市販されていたこと、

(二)  右即席調味料は、ひとしく醤油を主体とし、これにグルタミン酸ソーダ、その他鰹節或は昆布のダシ等の調味料を加えた液体または粉末でありいずれも使用目的に応じてそのまま或は適宜湯または水で薄める等して食用に供するものであるがとにかくそれのみで一応諸種の調味料を混和調合した即席の調味料としての商品価値を有していること、

(三)  当時市販されていた即席調味料の多くはその語辞に多少の差こそあれ、「つゆの素」、ないしは何らかの意味でこれと関連する名称を付されていたこと(中部以東では「つゆの素」ないしは「しるの素」、関西では「だしの素」としたのが多い)

(四)  さきにも述べた如く、原告は新製品発売に際し、当時における即席調味料に付された種々の名称を彼此検討のうえ、これに「イチビキつゆの素」と命名したものであるが、前説示のとおり、原被告はいずれも東海地方における有数の味噌、醤油製造販売業者であるとともに、競争会社の間柄に在り、特に、被告は醤油の製造販売に営業の主力を置いていたうえ、当時における調味料の即席化のすう勢からして、早晩被告が同様の即席調味料の製造販売に乗り出すことは必須であったこと、

を各認定し得べく、≪証拠の認否省略≫

本件で明かにされた叙上の事実関係に、≪証拠省略≫により認め得る、被告は昭和三七年三月二三日被告の即席調味料を指定商品として「サンビシつゆの素」なる文字を含む連合商標の出願をなし、昭和三八年第一〇四二八号を以て出願公告がなされたこと、及び、本件各証拠により認められる原告の連合商標「イチビキつゆの素」における権利不要求部分に関する事実関係を、彼此総合して考えると、一般に「つゆの素」なる名称は、種々の意味内容を含ませ得る抽象的語辞というべきであるが、それが商品取引に関連して用いられる場合には、少くとも当該商品と対応してその素材、原材ないしはエキス的なるものを集約的に表現していることは疑いなく、別けても本件事実関係の下において、当該商品が調味料である場合には、現今我が国の食品取引業者及び一般消費者は、何人も直ちにこれを以て濃縮ないしは一応完全な調味料と目するであろうことは、容易にこれを認め得るところである。しかして、右の如き意味における濃縮または完成された調味料、ないしは「つゆ物のエッセンス」こそ、近時の食品業界がきそって発売した即席調味料或は所謂完全調味料以外の何物でもないのである。叙上の如きである以上、本件「つゆの素」なる名称は、畢竟現時においては、これを即席調味料なる商品の普通名称であると解するを相当とする。

四、次に、被告のした右普通名称の使用が、普通に使用される方法を以てする使用に該当するかどうかにつき判断する。

一般に、同法第二条第一項第一号にいわゆる「普通に使用される方法」とは、右普通名称使用の態様が、一般取引上普通に行われる程度のものたることをいうものと解すべきところ、その認定については、当該商品の具体的取引過程の実状に基きこれを判断すべきものであって、当該取引において、一般に他の文字、図形、記号ないしは附飾を使用すべき合理的理由ないし必要あるときは、これらのものを組み合わせて使用することは許さるべきものと解する。被告が、右普通名称たる「つゆの素」に、自己が有する商標「サンビシ」の文字及び図形を冠し、これを「サンビシつゆの素」として使用したことは、前叙のとおりであるが、当時における原被告の本件調味料発売の経緯、即席調味料の製造販売業界におけるすう勢、その他本件に関する取引の諸事情が上記の如き関係にある以上、他に特段の事由の認められぬ本件では、被告のなした使用は、まさに所謂普通使用の域を出ないものというべきである。

五、以上説示のとおりであって、本件は、結局同法第二条第一項第一号に所謂商品の普通名称の普通使用と認むべきものであるから、これを以て、被告の不正競業なりとする原告の主張は、その余の点を判断するまでもなく理由なきに帰する。

(結論)

よって、原告の請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口正夫 裁判官 可知鴻平 寺本栄一)

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